会社概要

沿革

昭和
2年
共栄商会として創立
16年兵庫県下指定商合併にて資本金19万円で兵庫鉄屑株式会社を設立、一方共栄商会は別個に南洋方面の鉄屑集荷業務を営む
19年兵庫鉄屑株式会社を共栄株式会社に商号変更共栄商会業務を包含する
23年資本金100万円に増資
24年資本金250万円に増資
25年神戸市中央区北本町通に葺合工場を新設、プレス加工ならびに 電解錫精錬加工を開始大阪市西淀川区佃町に大阪、尼崎方面の鉄屑集荷の目的で大阪営業所を開設
26年本社所在地を神戸市中央区海岸通3丁目1番5号に変更
旧本社(神戸市兵庫区笠松通6丁目5番地)を兵庫営業所として開設
27年資本金500万円に増資
プレス加工の充実を計ることを目的として大阪にプレス工場を新設
30年資本金1,000万円に増資
32年資本金2,000万円に増資
33年関東方面に業務拡張の目的で東京都中央区八丁堀1丁目9番8号に東京営業所を開設
36年生産強化の目的で神戸市中央区吾妻通3丁目1番27号に葺合工場を新設移転
39年資本金3,000万円に増資
40年都市整備計画により神戸市長田区苅藻島町3丁目12番27号に兵庫営業所を新設移転
岡山県水島工業地帯進出の目的で倉敷市中畝6丁目4番6号に水島営業所、水島工場を新設
41年資本金4,000万円に増資
43年水島工場地帯の急激な発展にともない水島熔断工場を新設、厚板等鋼材加工部門の操業開始
神戸、水島間の鉄屑集荷ならびに鉄屑処理加工の目的で加古川市野口町長砂834の1に加古川工場を新設
45年姫路地区に業務拡張の目的で姫路市亀山222の6に姫路出張所を開設
46年業務拡張生産強化の目的で倉敷市福田町松江51番2号に水島第二工場を新設
52年東播地区業務拡張のため、加古川工場に1,000屯スクラップシャーを増設
53年名古屋地区に業務拡張の目的で半田市旭町4丁目10番地の2に知多出張所を開設
57年業務拡張生産強化の目的で愛知県碧南市港本町1番18号に加工処理工場として衣浦工場を新設、1,000屯スクラップシャーを設置し知多出張所を併合
61年水島第二工場に岡山県下発生のプレス材加工処理強化のためプレス機を新たに設置
62年東海地区に業務拡張の目的で清水市横砂408-13東海埠頭(株)内に清水出張所を開設
兵庫営業所に800屯スクラップシャーを設置
63年水島鋼材部門業務拡張にともない最新式NC切断機を増設、生産体制を強化し販売の促進を図る
平成
元年
中国地区業務拡張、並びに鉄屑加工処理強化のため水島第二工場に1,600屯スクラップシャーを増設
3年発生増に対処するため、兵庫営業所に1,600屯スクラップシャーを導入
東播地区の集荷増に備え加古川工場に1,600屯スクラップシャーを増設し、加工処理の強化を図る
6年葺合工場の事務所を改築し、工場内を拡張して入出荷の合理化を図る
8年衣浦工場での鉄屑処理加工の合理化を図るため、1,250屯マウントシャーを導入
水島営業所の事務所を改築し、業務の合理化を図る
9年荒銑の破砕業務を目的に倉敷市水島川崎通1丁目に水島第三工場を開設
12年業務拡張生産強化の目的で大阪市西成区津守3丁目に大阪工場を新設
大阪営業所を大阪市西区千代崎1丁目3番4号に移転
14年本社ビルを購入し、本社事務所を神戸市中央区栄町通2丁目3番9号に移転
16年東京営業所を東京都中央区八丁堀2丁目11番8号平澤ビルに移転
切板製品の需要増に対処する為、水島第ニ工場にNCプラズマ切断機を増設
17年衣浦工場に扱品種拡大を計ることを目的としてプレス機を新たに設置
21年加工処理強化のため衣浦工場に1,600屯マウントシャーを増設
東播地区業務拡張の目的で、加古郡播磨町新島6-5に播磨ヤードを開設
23年姫路地区業務拡張の目的で姫路市飾磨区恵美酒193に姫路営業所を新設移転
24年水島第二工場のプレス機並びに1,250屯スクラップシャーを更新
25年衣浦工場に太陽光発電設備を設置
26年加古川工場の500屯スクラップシャーを1,000屯スクラップシャーに更新
27年 株式会社溝江商店(平成31年2月共栄九州株式会社に社名変更)の全株式を取得
兵庫営業所の1,600屯スクラップシャーを1,000屯スクラップシャーに更新
葺合工場を兵庫営業所に統合し神戸工場に改名
株式会社シマブンコーポレーション及び扶和メタル株式会社と業務提携
28年誠美社工業株式会社の全株式を取得
29年阪栄鋼材株式会社の全株式を取得
31年グループ企業の株式会社溝江商店が社名を共栄九州株式会社に変更
令和 2年神戸工場に扱品種拡大を計ることを目的としてプレス機を新たに設置
グループ企業の共栄九州株式会社が事務所棟を建て替え
3年加古川工場の事務所棟を建て替え
4年阪栄鋼材株式会社を吸収合併
5年播磨ヤードに扱品種拡大を計ることを目的としてシュレッダ設備を導入し、播磨工場に改名